2020.06.16
月刊コマ送り14「好奇心」
福岡市の緊急事態宣言が解除されて一ヶ月。
「街に日常が戻ってきた」と耳にすることが増えた。
在宅勤務をしていた時期、やはり街は人通りも少なく、とても静かだったそうだ。
私はといえば、自分が外に出ないから、人通りが少ないことも知らなかった。週に2回くらい、日が暮れてから近所のスーパーに行くか、夜のゴミ出しでしか外出することがなかった。だからだろうか。在宅勤務明けのタイミングで腰が崩壊した。人間は太陽の光を浴びないと骨が脆くなるらしい。
在宅勤務中に唯一話した生身の人間は、買いものに行ったときに会った見知らぬおばあちゃんくらいだろうか。ドアが重そうだったので、どうせ自分も通るしと思い支えていたら、とても丁寧にお礼を言われた。しばらくマイク越しにしか声を発していなかった私の「ととトとトトんでもナいでス」は、おばあちゃんの耳に届いていたのだろうか。いっそ届いていなければいいと思う。
そんなこんなで今ではどうにか社会復帰をして、なるべく太陽の光も浴びるように気をつけている。
5月末、随分ひさしぶりに地下鉄に乗った。
すべての緊急事態宣言が解除された週末だった。
こころなしか車内の空気もピリピリしているように感じて、壁しか見えない地下鉄の窓の外をぼんやり眺めていた。
その数日前、会社の人たちと電車の話をしていた。
20分くらい歩けば出勤できる私と違い、毎日電車を乗り換えて通勤している同僚もいる。一時期は車内の人数も減っていたが、じわじわ元通りになってきている、なんて話をしていたような気がするのだが、雑談は脇道にそれて着地点を見失うのが醍醐味だ。
ひとりが「電車内で気になる人を見かけたら、ちょっと後を追いたくなる」と言い出した。「なに言ってんだ、怖」と思っていたが、どうやら「どういう理由があって」「どんな経緯で」「どういう関係性で」等々、いろいろな好奇心との戦いらしい。もちろん実際には後をつけたりしていない、と思う。
地下鉄の車内を見渡した。
時間帯のせいか、そこまで密という感じでもなく、かといって全員が両腕を伸ばしたら誰かとぶつかってしまうだろうなという程度の混み具合。みんなマスクをしていた。ピリピリしているような気がしていたが、誰も言葉を発する人がいなかったから、ただただ静かだっただけかもしれない。どんな人が乗っていたか、まばたきをすれば忘れてしまいそうだった。
その日は朗読の収録だった。
会社以外で人と会い、とりとめのない話をし、今のようになる前は日常的にこういうことができていたということに、今さらながら驚いたりしていた。声を出すことでこんなに前向きな気持ちになるなんて、すっかり忘れていた。
帰り道。地下鉄のホームで電車を待つ。降りる人がいるようだったので、開くドアの横によけて待っていた。
目の前に降りてきたのはツンツンのヘアスタイルにサングラス姿のやんちゃそうなおにいさんだった。
その両腕に抱えるほどの赤い薔薇の花束。
夕方の天神駅は少し混んでいて、誰もその男性を気に留めていないようだった。地下鉄のドアが開くと同時に真っ先に電車を降りたおにいさんは、そのまま真っすぐ階段を踏みしめるように歩き、見えなくなった。
葛藤はほんの一瞬だった。私の好奇心は理性に負け、一瞬その後姿を追いそうになった左足はおとなしく地下鉄の車内に吸い込まれた。
全国的に緊急事態宣言が解除された週末、あのおにいさんは誰にどんな言葉を伝えるのだろう。あの真っ赤な薔薇たちは一体どういう想いを込められて、地下鉄に揺られていたのだろうか。