2021.04.30
月刊コマ送り24「仮想現実」
先日、とある建築家の展示を観るため、弾丸で長崎に行ってきた。
眠い目をこすりこすり博多駅から特急に乗って約2時間。読んでいたはずの本が床に落ちたことで自分が寝ていたことに気づく。
開館時刻から10分も経たないうちに美術館にたどり着いたが、すでにそこそこの数の人間がコロナ対策として名前と電話番号を書き、その紙を神妙な顔で投票箱みたいな箱に滑り込ませていた。
展示は好きなものを好きなだけ観れるからいい。基本的に対象が動かないので、こちらが動かない限りはずっとそこに存在してくれている。興味がなければちょっと眺めるくらいでいいし、作品よりも展示方法に関心があることだってある。そもそも発想が形になっているだけですごいと思っているので、ほとんどの場合「すごいなー」と思いながら観ることになる。「おもしろいなー」に出会うと嬉しくなる。
建築家の展示だったので、一番最後に実際の建築物をVRで観ることができるコーナーがあった。内心うきうきしながら列に並んだのだが、さすがに1人でニヤニヤしていたらスタッフも怖かろうと表情には出さないようにしていた。
VRといえば数年前の年末、兄夫婦が帰省した際にVRゴーグルを持ってきてくれた。両親はたしか海を、私は砂漠を歩く体験をさせてもらい、年末の我が家は、VRゴーグルをつけていない人がつけている人をニヤニヤしながら観察するという空間と成り果てた。私の眼前には見渡す限りの砂景色。しばらくいくと遠くの方にラクダをつれた人間が見え、ずっと歩いていても仕方ないので、ときどき勝手に空を飛んで景色を変えてくれた。
そんな砂漠旅以来のVRである。まずは建物の外観を見るべく交差点に降り立った。該当の建物以外の街並みが気になって仕方ない。この傾きは本来のものなのか、それとも映像の仕様なのかと考えながらできうる限りの角度を試し「映像の仕様だ」という結論に達する。
いざ建物の中に入る。私が列に並んで順番待ちをしていたとき、VRを観ている人たちはあまり首を動かしていなかったのだが、あの人たちは何を観ていたんだろうか。上下左右に首を振り回し、思い切り上を見上げたタイミングでゴーグルと顔の隙間からスタッフと目が合うという、現実と仮想現実を瞬時に渡り歩くような真似までしてしまった。
「建物内を歩いてみましょう」ということで、こちらは一歩も動かずとも目の前の景色は滑らかに変わっていく。空間に奥行きをもたせるために、大きな柱の一面につけられた大きな鏡に私の姿が映った。あちらの世界の私は、まぁ随分と「アナキン・スカイウォーカーが初めて作った機械」のような見た目をしていて、それはそれで愛着が湧く。
VRゴーグルを外し現実に戻ると、さっきまであんなになめらかに動いていたはずの足は重く、なんなら2本あるので交互に動かさねばならず、高いところを見上げても飛べず、天井のライトの眩しさに負けそうになった。